【南知多・内海】廻船船主内田佐七家で尾張万歳の公演がありました

     10月15日内田佐七家にて尾張万歳の公演がありました♫

↓ 向かって左端の子は中学生でした~頑張れ・・・と応援♪

知多万歳2知多万歳1

~~ 尾張万歳の起源は、地元の伝承によれば弘長三年(1263)に、

現在の名古屋市東区矢田町の長母寺の開山、無住国師が【法華経万歳】を作ったのが始まりとされ、

室町時代には長母寺の境内であった知多半島にまで伝わっていたものと見られている

その後、

江戸時代に4つの技師聞いてき演目(六条万歳・神力万歳・地割万歳・御城万歳)が加わり、

【五万歳】として尾張万歳の基本が出来上がったとされる。

この【五万歳】は宗教的・儀式的色彩が強いものであったが

一方では近世を通じて「福倉持倉」「入込」「三曲万歳」「御殿万歳」など

娯楽的な要素を持った演目が加わるようになった。

これは尾張万歳が農民達の農閑期の出稼ぎ芸として行われるようになったためで

家々の軒先で演ずる門付万歳や得意先の座敷の上で演ずる檀那場万歳という形で、

正月を中心に関西・中部・関東地方にまで回国するようになっていった。

明治維新後は、これらに加え、遊芸稼人の鑑札を受け、より娯楽性を加味して

各地を巡業する一座も出現するようになり、

のちの演芸としての漫才の基礎ともなっていったと考えられる。

尾張万歳は、扇子を持った太夫とと鼓を持った才蔵との二人一組で、

才蔵の鼓に合わせて太夫が祝言を述べて舞ったり、

言葉の掛け合いをしたりするのが基本である。

伝承演目は、祝福芸として厳格な作法で演じられる儀式的な「五万歳」、

娯楽的な演目として歌舞伎の段物を演じる「三曲万歳」などがあり

知多地方の庶民の伝統芸能である。~~と説明文がありました。

      残念ながら

私の記憶の中ではお正月に回ってきた獅子舞しか覚えておらず(-_-;)

   今の漫才は知って入るけど万歳ははじめて。

     なかなか興味深く楽しめました。

      残念なことに当日は雨☂☂☂

   来場者の少なさには (*_*) (*_*; でした。

注意、

来場者の中には今度は切り絵があり、コンサートがあるんだね。と

つぶやいてるおばちゃんがいました・・・もっとつぶやいて欲しいですね♫

 ツイッターじゃなくても井戸端会議でつぶやいてね(笑)